【コラム】第2回:インフレと制度の崩壊~つぎはぎだらけの昭和20年代~

本の公的年金が歩んだ歴史を紐解く連載コラム、第2回のテーマは「昭和20年代(終戦から昭和29年全面改正まで)」です。

前回(第1回)は、戦時下の国策として現在の厚生年金の前身である「労働者年金保険法(のちの厚生年金保険法)」が誕生したところまでを解説しました。

昭和20(1945)年に終戦を迎えた日本を待っていたのは、激しいハイパーインフレと、制度の「つぎはぎ」による大混乱でした。現代の盤石な年金制度ができ上がる前夜にあたる、激動の昭和20年代の実態に迫ります。

 

ハイパーインフレによる厚生年金の「機能不全」

戦時中の昭和19(1944)年に整備された厚生年金ですが、終戦直後の日本は物価が数百倍から数千倍に跳ね上がる猛烈なインフレに見舞われました。これにより、制度は実質的な機能不全に陥ります。老齢年金は「支払い実績ゼロ」:当時の制度では、老齢年金を受け取るために「20年の加入期間」が必要でした。制度が始まってすぐに終戦を迎えたため、この時期に老齢年金をもらえる人は原則としてまだ存在していませんでした。

 

価値を失った障害・遺族年金

加入期間が短くても支払われるはずの「障害年金」「遺族年金」は存在していましたが、戦前の低い給与をベースに計算されていたため、もらえる額は現在の価値でいう「数十円~数百円」程度に目減りしてしまいました。「手続きのための交通費や書類代のほうが、もらえる年金より高くなる」という本末転倒な事態になり、年金としての分割受給を諦め、わずかな「一時金」を受け取って手続きを終わらせる人が続出しました。

さらに、戦時中に国民から集められた保険料の積立金は、戦費(国債の引き受けなど)に消えていたほか、残った資金もインフレによって価値を完全に失い、財政基盤は一度「全滅」の憂き目に遭ったのです。

 

旧軍人恩給の「全面停止」と文官恩給の「つぎはぎ増額」

民間サラリーマンの厚生年金が機能停止する一方で、明治以来の「恩給制度」もGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の介入によって激変しました。

 

旧軍人恩給の廃止(昭和21年)

GHQの命令(軍国主義の排除)により、軍人への恩給や戦没者遺族への公務扶助料が全面的に支給停止(廃止)となりました。これにより多くの遺族や退役軍人が突如収入を断たれ、極貧の生活を強いられることになります(のちの昭和28年に恩給法が改正され、ようやく復活します)。

 

文官(公務員)恩給のつぎはぎ対応

公務員の恩給は維持されたものの、やはりインフレで額面通りの支給では生活ができない状態でした。抜本的な法改正が追いつかない政府は、「恩給増額特例法」などの特別措置法を毎年のように連発し、現役公務員の給与ベースアップに合わせて、すでに受給している人の恩給額を無理やり引き上げるという「つぎはぎの運用」で急場をしのぎました。

 

「昭和29年全面改正」へ:現在の2階建ての原型が誕生

このように、昭和20年代の日本の公的年金は、「厚生年金はインフレで機能停止」「軍人恩給は停止」「公務員恩給はつぎはぎ」という、社会保障として崩壊寸前の状態にありました。この大混乱を乗り越え、日本が主権を取り戻して経済が安定し始めた1954(昭和29)年、厚生年金保険法の抜本的な全面改正が行われます。

過去の古い給与ベースを一度リセットし、これまでのインフレを織り込んだ計算式に作り直すとともに、現代の「2階建て構造」の原型となる「定額部分(のちの基礎年金)」と「報酬比例部分」を組み合わせた給付体系がここで正式に確立されました。この昭和29年改正によって、日本の厚生年金は長い冬の時代を終え、ようやく現実に機能する生活保障として本格的なスタートを切ることになったのです。

 

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