【コラム】日本の公的年金が歩んだ歴史(第1回)
なぜ年金制度は複雑なのか?~黎明期から戦時下の誕生まで~
私たちが普段、身近に接している「公的年金」。老後の生活支える「老齢年金」はもちろん、病気やケガで働けなくなったときの「障害年金」、万が一のときの「遺族年金」など、人生のあらゆるリスクを支えるセーフティネットとして機能しています。
しかし、「制度が複雑で分かりにくい」「毎年のように法改正があって仕組みが追えない」と感じている方も多いのではないでしょうか?
実は、年金制度がこれほど複雑な仕組みになっているのには、「時代ごとの社会の変化に合わせて、継ぎ足しや統合を繰り返してきた」という深い歴史的な背景があります。
制度の「今」を正しく理解するためには、その「歴史(ルーツ)」を知ることが一番の近道です。
そこで今回から複数回にわたり、【日本の公的年金の歴史】をテーマに、激動の時代背景とともに分かりやすく解説していきたいと思います。ご自身の将来の備えや、知的好奇心を満たす読み物として、ぜひ最後までお付き合いください。
第1回目となる今回は、年金制度の始まりである「明治時代」から「戦時下」の動向にスポットを当てます。
1.年金制度のルーツは「国家への功労報償」(明治時代)
日本の公的年金制度の歴史を遡ると、明治時代にたどり着きます。しかし、当時は一般の国民を対象としたものではありませんでした。最初に作られたのは、軍人や官吏(公務員)を対象とした「恩給(おんきゅう)制度」です。
- 1875年(明治8年): 海軍退隠令(軍人への恩給の始まり)
- 1884年(明治17年): 官吏退隠資給章程(公務員への恩給の始まり)
当時の日本は、富国強兵のもと近代国家としての体制を整えている最中でした。この恩給制度は、生活保障というよりも「国家のために命を懸けて尽くした特定の職種に対する『報償(ご褒美)』」という意味合いが強いものでした。これが、日本の年金制度の最も古い形です。
2.民間への拡大は「戦時下の労働力確保」(昭和初期)
民間企業で働く一般の労働者を対象とした公的年金が誕生したのは、それから約60年後、激動の戦時下のことでした。
- 1942年(昭和17年):「労働者年金保険法」の制定
これが、現在の厚生年金の直接のルーツとなる制度です。主に戦時下の鉱山や工場などで働く「男子の現業労働者」を対象に創設されました。
民間への導入というと、一見「労働者の福祉のため」のように思えますが、当時の目的は大きく2つありました。
- 軍需産業における貴重な労働力を確保・定着させること
- 国民から集めた保険料(積立金)を戦費調達(国債の引き受けなど)に充てること
つまり、制度創設当初には、戦争遂行を支える国策の一環としての側面があったと指摘されています(この点についてはさまざまな見解があります)。
- 1944年(昭和19年):「厚生年金保険法」への改称
戦況が悪化する中、対象を事務職(職員)や女子労働者にも拡大し、名称も現在の「厚生年金」へと変わりました。
しかし、この直後に終戦を迎えます。終戦直後の日本を襲った激しいハイパーインフレによって、それまでに国民から集めて蓄積されていた積立金の実質的な価値は、残念ながらほとんど目減りして機能不全に陥ってしまいました。
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